ストレスに強くなること
疲れないための体を作ること
michiさんに頑張ってますよと胸張って言えるくらい頑張ること
誰かと子供の頃に出会った場合、最初は〇〇兄ちゃんと呼ばれるが、
そこから10年経つと兄ちゃんと呼ぶにはあまりにおじすぎるということがある。
そこから〇〇おじちゃんに変化してもいいのではと思うが、
そのうち呼ぶ側もおじ「ちゃん」と呼ぶのが恥ずかしくなる気がする。
このタイミングでおじ「さん」になってもいいのだが、
もともと「太郎兄ちゃん」と呼ばれていた人が「太郎おじさん」となったら、呼ぶ側も呼ばれる側も、もう元の関係ではいられないだろう。
太郎兄ちゃん
太郎おじさん
太郎おじいさん
昔、厳格だったという祖父が、どういうきっかけで孫の前では一人称に「じいちゃん」を使っているのか気になって仕方なかったが今ではわかる。
姪には「東京のおじさん」と思われている。
俺にも東京のおばさんがいたからわかる。
先日、お世話になった人の子供が大学受験のためしばらくうちに泊まっていて、初めて会ったときは小学校低学年だったので未だに〇〇兄ちゃんと呼ばれているが本人は少し照れくさそう、なところを見て上記のようなことを思いました。合格おめでとう。
近所の喫茶店で本を読む。店の中には二人だけ。コーヒー一杯が終わりかけた頃に、店主が黙々となにか料理を作っている。いいにおいにつられて、この調理が終わったらえびピラフを頼んでみようと思う。閉店時間まであと30分くらいだから、まだ料理が頼めるかもあわせて聞いてみよう。食べれたらいいな。おそらく家族に持っていく晩御飯だろうか。
ワンプレートに盛られた料理を二皿、カウンターの外に運んでいき、店の外を経て二階の家族に渡しに行くんだろうと思う。届け終わって帰ってきたら注文をしようとせわしなく考えていると、店のドアが開き、それと同時に食器の割れる音がした。温厚な店主の舌打ちが聞こえたような気がして丸まった背中が伸びた。
席を立って「大丈夫ですか。なにか手伝えることはありますか。」と声を掛けると「大丈夫。落としちゃった。」とはにかむ。
席に戻っても本の続きを読むのはなんとなく気が引けて、今日はえびピラフは辞めとこうと思う。これを書いている間に、先程と同じ順序で調理する音が聞こえて作り直しているのがわかる。また同じいいにおいがする。
自分の落ち込みが、せっかく作った料理を落としてしまった店主への共感なのか、えびピラフを食べられなかったがっかりなのかわからない。
成田空港に着いたらお腹を壊した。
家に帰ると顔の左半分が痺れたような感じと頭痛が次第に強くなる。
一日なんとか我慢して寝たら少しよくなったが、ベッドから起き上がろうとしたら肩から背中にかけて激痛が走る。調べるとぎっくり背中というらしい。ほんの一ヶ月前はぎっくり腰をやった。
友達の結婚式の映像を見る。最近は全く知らない他人でもそうなるが、友達の人生の自分が知らない部分を見ると泣きそうになる。
痛む背中を擦りながら、20230305放送のRADIO SAKAMOTOでかかった坂本龍一選曲の幸宏追悼プレイリストを聴く。ベランダに出てタバコを吸いながら通りを歩く人達の人生を思いやる。
知らない誰かが今も生まれたり、誰かと一緒になったり、死んだりしている。
まだ死なないけど、死ぬなら今日みたいな天気の日がいい。ぎっくり背中ほども痛まないくらい安らかに死にたい。